考えさせられる一冊『デス・ゾーン』

久しぶりの衝撃の一冊

本は日々それなりに読んでいるんですが、久しぶりの衝撃の一撃ならぬ一冊。

そのタイトルは『デス・ゾーン』

デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 (集英社学芸単行本)

エベレストを目指していた栗城史多さんの活動を少しでも知っている方、そして栗城さんを応援されていた方には絶対に読んで欲しいと思うほど強烈な一冊でした。

というのも、かつて私もこの栗城さんの本を読んだことがあり応援してた1人です。

『フリーターがエベレストを目指すの?』

自分とあまり年が変わらない人が最高峰の山に挑戦する姿に感動して、応援しようと思ったんですよね。
本当に昔、まだこのブログをやってなかった頃に、何だったか忘れましたが、たぶんSNSか何かで本の紹介をしたこともあります。

エベレストなんて下手をすれば死んでしまうような場所です。
自分には行と言われてもそんな度胸もないですから、純粋にすごいなぁと思ってたんですよね。

それからどれくらい経ったのでしょうか、ある登山家の方を紹介してもらいます。

ある登山家?の反応

今思うと、どんな経緯で誰に紹介されたかもちゃんと覚えてないんですが、もしかしたらその道ではすごい人だったのかもしれません。

登山家の方なんて珍しいので、つい嬉しくなって私は

『栗城さんというすごい人が登山家でいますよね♪』

と、話しをしたんですよね。

そしたらその返ってくる反応というのが意に反してすこぶる良くなかったんですよね。

『う〜ん。。。』

と何かためらうような感じで思い口を開くと。

「彼はあのままの形で突き進むといずれ命を失うことになると思う。」

いきなりこんなことを言われてこっちも絶句です。

一呼吸置いて理由を聞いてもあまり詳しくは話してくれなかったように思うのですが

『登山家とは呼べないんじゃないか?』

と言った内容だったことを覚えています。ほんといつだったか?誰だったかも忘れてるんだけれど、その言葉だけが衝撃で覚えてて、結局それからその言葉が気になって自分で調べるんですよね。

当時、ネットの多くは肯定的だったんですけれど、少なからずネガティブなことも書かれていました。
単なる誹謗中傷は完全無視なんですが、確かにと思わされる記事もいくつか見受けられたこと。

それから専門家や同業である登山家から疑問視されている誇張された部分に対する指摘というのがとても的を得て、あの私が出会った登山家の方が言わんとしていたことが理解できたんですよね。

エベレストって登るためにすごくお金がかかります。
なのでスポンサーを募ったり、見せ方に工夫はいると思うんですよね。
そういう意味で経験を大きく見せたかったことも理解はできます。

ビジネスであれば成功や失敗してもやり直すことができますが、8000メートル級の山なんてその場所に滞在しているだけで死に近づくような危険な場所。刻々と流れる時間の中で判断を誤ればそのまま死んでしまいます。

死ぬんですよ。

スーパーマリオの世界なんてものはなく、やり直しはありません。

自分は以前、コーチングをしてたので人の応援をすることを生業としていました。
今はコーチングからは離れましたが、それでも誰かの夢を応援することは好きですし、基本的には応援する方だと思います。

世の中や世界は基本的には人間が定めたルールや法律の中で生きています。
でも、自然が人間が作ったルールなどを守ってくれる保証はどこにもありません。
急変するし、予想外のことも起きれば、容赦もないのが自然。

競争社会の世の中ではブランディングって、ないよりあった方がいいでしょう。
自分を選んでもらう為の一つの手段です。
でも自然や生死を相手にするのに誇張されたブランディングなんかより必要なのは実力や実際の経験値じゃないのか?

そう思った時に、私は栗城さんを応援することは個人的に止めようと思ったんですね。
正直、応援したい気持ちはありましたが、このことをわかってしまって応援することは違うと。
無邪気に無責任に応援してしまうことで人の命が失われてしまうかもしれないと思ったからです。

自分がそれこそSNSか何かで栗城さんのことを紹介したことから、何人もの方々から『一緒に栗城さんの講演会に参加しませんか?』とお誘い頂いたんですが、あの時のお誘い全て断ってしまったのはこの理由からです。
ただ、せっかくのお誘いしてくださったのに断ってしまったことは大変申し訳なかったなと思っています。

この本から学ぶこと

栗城さんは有名人でしたし、見せ方やブランディングは非常に気にされていたと思います。
そそれにメディアは乗っかり、さらに煽るように拍車をかけて、誇張された問題も何もなかったかの如く突き進んでいきます。

ほとんどの指を重度の凍傷で失っても、もう彼には引き返せなくなっていたことを思うと心が痛みます。

そして最終的に8度目のエベレスト挑戦。
指を失って挑戦するだけでも大変なことなのに、予定してたノーマルルートではなく土壇場であろうことか超難関ルートの西南壁に変更し、命を落とす。

あの時、出会った登山家が言っていたことが本当になったとニュースを聞いた瞬間に思い出しました。
起こるべくして起こった事故だったように私も感じました。

本当にすごく難しいなぁ。。。
一歩踏み出す勇気もあれば、とどまる勇気もある。

周りの盛り上げに乗りつつも飲まれてはいけないバランスがあるように。

それに挑戦者は応援してもらいたいものだし、自分ができないことをしようと挑戦する人を応援したい気持ちもある。
でもやっぱり応援する側も命あっての応援のようにも思う。それかそれでも応援するならその生死すら受け入れるだけの応援なんだろうと思った。そしてそれが私にはできなかった応援だろう。やっぱり栗城さんには今でも生きてて欲しかったと思うから。

そして自分の仕事はどうだろうとも思う。
栗城さんほどでは全然ないけれど、やっぱり人前に立ってする仕事だ。

だから、見せ方やブランディグっていう部分も考えていたりします。
もちろん嘘はないし、誇張しているところは少ないだろうけれど、それでも正直、今と違って事業として立ち上げる段階ではゼロではないと思う。それはどんな事業であってもそうだろう。

どんなにいい商品でもそれを箱のまま雑多に置いておいて売れることはないから、みんなにどうやったら手に持ってもらい、最終的にお金を出してもらえるように考え努力する。

綺麗に磨くだろうし、綺麗に陳列するだろうし、手書きのポップを作ったり。

そうやって他のモノとの差別化を図る。

人であってもモノであっても基本的にそうやって購買意欲を持ってもらったり選んでもらう。

でも、ここだけに注力してると本質的な部分が違ってくる。

やっぱり実力をどれだけその稼いでいる時間の中でつけるかだ。

栗城さんは正直実力不足だったと言われている。
この本を読んでもビジネスセンスはすごいと感じるけれど、きっと実力が全然足りていなかったのだろうと感じる。
人に見せることだけを意識してしまって本質を見失っていたのかもしれない。
そしてそのギャップを埋めることの重要性を理解出来ていなかったのだろうとも思う。

だから登山家からエンターティナーではあるが登山家だとは認められなかった。

それに自然や生死がかかっている分野は特にこの差があってはいけない分野のように感じました。

自分の仕事の話しに置き換えれば、今まで、個人の方々の資産形成などの話しをしているけれど、これからは法人の方も対象とした話しもしています。

個人でのつながりで信用していただいた関係で、法人の話しにも繋がっているケースはあります。
これは本当に非常にありがたいこととしか言いようがありません。

ただ、これはまた個人の資産形成とは違った話しになってきますし、知識やスキルもさらに必要となっていきます。
専門家の方々と一緒にすすめていますが、やっぱり1日でも早く自分自身もさらなる実力をつけて、いい形でいいアドバイスが法人にもスムーズにできるアドバイザーでありたいと思います。

そういう意味で、自分もさらに実力を上げていかなければいけませんし、日々精進です。

今回のこの『デス・ゾーン』では様々なことを本当に考えさせられました。
栗城さんを内側から見てた方からの発信をいつか知りたいとずっと思っていましたし、賛否を産んだこの話の謎も自分の中では解くことができました。

こういう悲劇は繰り返してはいけないでしょうし、日々の生活に実は巧妙に紛れ込んでいる問題のように思います。

この教訓をぜひ生かして明日からも生きて行きたいと思います。

デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 (集英社学芸単行本)