私が投資を始めたきっかけ
投資を始めることとなったきっかけ
こんばんは。
今日は私が投資を始めることとなったきっかけというのを書いてみようと思います。
こちらプロフィールにもざっくりと今までの流れは書いています。
現在、お金や投資に関することをみなさんにお伝えする立場として全国各地でセミナーをしたりしているのですが、元々は投資や金融とは全然関係ない場所で働いていました。
高校卒業後は現場作業員として働いていました。
2000年。
当時は就職氷河期と呼ばれ、まともな就職先はかなり限られていました。
私は工業高校を卒業したのですが、1000人いた生徒に対して求人は300社しかありませんでした。
そのうちの100社は美容院であったり、スーパーであったり工業とはまったく違う分野の就職先です。
あまりの就職率の低さから先生たちも就職ではなく、専門学校や行ける人間は大学への進学を勧めていました。
私は就職氷河期がどうのこうのよりも、これ以上勉強の意味を見出せなかったのでとにかく就職をするという道を選びました。
とは言っても、やっぱり就職するなら、同じ時間働くならお給料がいい方がいいわけで、そんな都合がいいところを探していました。
すると偶然見つけちゃうんです。
給料も高卒にすればそこそこ。
そして業務内容を確認すると【オペレーター業務】
先生に「オペレーター業務って何ですか?」と聞いてみると、機械を監視するだけの業務だと!なんなら自分はクーラーの聞いた部屋から下請けの人の指示するだけだと。
『・・・それ、むっちゃ楽やん(笑)』
早速、申し込みをしたらやっぱり私のような考えをしている人間がけっこういるわけです(笑)
実際、就職試験を受けに行った時にも9名の方が試験をする中、採用は1人。
倍率は9倍でしたからかなりの狭き門だったのではないでしょうか。試験当日に知ってビビってましたね。
まぁ運がよかったのか悪かったのか、なんとその就職試験に見事1位の成績で合格し、就職が決まったのです。
この就職氷河期に大手企業に就職できたのですから、正直ここからは安泰だと思ったものです。
オペレーター業務というのは一体何なのか?
試験も合格し、みごと就職氷河期に就職できた私。
最初の三日間は工場見学をさせてもらい、休憩にはアイスが出たり、就業時間の1時間前には事務所に戻り、感想文書いて時間が来れば帰っていいよと。
やばい・・・さすが大企業。オペレーター業務ちょろいわ〜とニヤニヤしてたもんです。
4日目。
部署に配属された瞬間にそれは打ち砕かれました(笑)
私が入社した会社は事務以外は基本的に3K職場(「きつい」「きたない」「きけん」)と言われれる場所で、工場の交代勤務者として従事することとなりました。大きな会社ではありましたが、今でいうブ◯ック企業!?古い体質から抜けきれない年功序列が最優先されるような職場でした。
そこにオペレーター業務などというものは皆無で、全部自分で現場に出て作業をします。
指示を出すなんてことは一番年下の私にあるわけもなく、自分が指示を出されて走り回らされる役なのです。(まぁ当たり前ですよね)
これも入社して時間が経つにつれ知ることとなるのですが、危険度も未だにあの会社を超えるところがあるのだろうかと思うくらいで、毎年死者が出るような危険な仕事。
また全国ニュースにもなった大事故を引き起こし、国からも悪いお墨付きをもらってしまうような企業でした。
それだけ危険ならお給料が良かったのかと言われたらそうでもありません。
あの危険な作業から考えるとむしろ安すぎるんじゃないかというくらいの感じでした。
特にまだ新入社員ということで賃金も安かったこともあったと思いますが、それも重なり、1日で計算しても手取りで8000円くらいじゃなかったでしょうか?これに毎日3時間以上の残業も含めてですから決して高い金額ではなかったと思います。
それに加えて夏場になると場所によっては50度を超える高温の場所での力仕事でしたから、本当に寮と職場の往復以外は覚えていないような日々でした。
当時は私も高校を卒業したばかり、テニスを本格的にしていたので体力には少しは自信がありましたが、テニスとはまた全く違った環境で1日1日を終えるので精一杯。でも周りを見てみると新卒採用も10年ぶりだみたいなことを言われいましたから、他の作業員とは年齢が近い人でも10歳ちかく離れていましたし、そして私と同じ過酷な作業を60歳ちかくのおじさんがやっているのをみると将来の自分のように思えてなりませんでした。
ここで気づくことになります。
『給料がいいと思って入ってみたけど、そもそもこんなことを自分は一生したかったのだろうか?好きでもないことを一生やり続けて行くことなどできるのだろうか?』
投資との出会い
『こんなことをいつまで続けるのか?』
そんな自問自答を繰り返す毎日。当然毎日おもしろくありませんし、やる気もありません。
当時の私・・・(目つきが悪すぎます。。。そして何より痩せております(笑))
ただこの就職氷河期。ここを辞めれば、ここより給料はさらに低くなるでしょう。もしかしたら就職先すらすぐに見つからない可能性もありました。
辞めたいけど辞めれない・・・。
もっとお金があれば辞めれる!
ならバイトでも掛け持ちしてお金を貯めようか?
でも、下手をしたら日をまたぐような残業までありましたからバイトなんて肉体的にも時間的にも無理でした。
辞めたいけど辞められない。でも他の手も見つからない。
そんな想いを引きずりながら亡霊のような日々も気づけば5年ちかく月日が流れていました。
今思うと本当に人生に絶望していたと思います。ほとんどあの時の5年の記憶はないですもんね。
日常は無気力ですべてが作業でしかない毎日です。
でもそんな時に時代の寵児と呼ばれたホリエモンが世間を騒がせ出していた時でした。
そしてそんなホリエモンが何のニュースだったのか情報番組だったのかもしれませんが、たまたまそこでポロっと
『時間がないやつは投資でもやったらいいのに』
みたいなことを言ったのが耳に入って来たんですよね。
当時、めっちゃ時間が無くて何も自分はできないと思っていましたから、この言葉が頭を貫いたほど衝撃だったんです。
『何だ?時間がないヤツでも、できるもんなの投資って?』
お金にも時間にも、飢えて、飢えて、飢えきっていた私は藁をも掴む思いだったんでしょうねぇ。
これが私が投資をすることになるきっかけであり、出会いです。
あの時は苦しくてしょうがなかったですが、人生諦めているようで、どこか諦め切れていないもう1人の自分がごくわずかだけど、心のどこかに生きていたのかもしれません。
たまたまテレビをつけて、たまたま聞いた言葉が人生が変わるきかっけをくれるのですから人生というのはどこで好転していくのかは最後までわからないものですね。
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