問われるのは問題解決能力
日本で多様化を受け入れられる子供は育つのか?
最近、知り合いの中には子供の教育のために、シンガポールやマレーシアに移住する家族もじわじわではありますが、増えてきています。
留学では、オーストラリアやアメリカ・イギリスを選択肢に活動している人も見受けられます。
シンガポールやマレーシアは同じアジアであることと、治安の良さもあるみたいで過ごしやすさというのもあるみたいですね。
また日本と違って、様々な人種や宗教があり、それを日本のように排他的ではなく、受け入れることで成り立っている国なので、子供もその環境で育てば、自然とお互いの違いを認められたり、共存するという考え方を身につけられるのではないでしょうか?
日本人というアイデンティティを持つことは素晴らしいことだと思いますが、それを有効的に使えている人は少ないのではないでしょうか?多くはその過程で排他的になり、自らの世界の幅を狭めているように感じる人もいるように思います。
日本の現状はまだまだ大人が変わっていかなければいけないレベルだと思っていますから、子供にまで浸透するのはまだ少し先なのかもしれません。
まだ暗記力や記憶力に依存した日本の教育
教育のために海外移住を決めた人に話しを聞くと、日本の教育レベルと内容に対してやはり懐疑的でした。
みんな同じレベルで、同じように・・・聞こえはいいですが、その子が持つ特徴や長所を伸ばす考えでなく、何もかも平均になる教育。今後の世の中にそんな人は社会から求められる人間になるのだろうか?そんな子が育ったところで機械やAIに取って代わるだけではないのか?なんの意味もなさない教育を子供にしたくない。ということでした。
海外の教育事情に詳しい方と話をしても、日本の教育は未だに記憶がどれくらいできるかが、頭の良さの判断になっているということ。そんなものは今の時代はネットですべて完了してしまうこと。記憶はネットやAIに人は勝てないこと。
だから、どう活用してどう問題を解決するかの解決能力が本来は求められていること。
海外のテストはもうすでに記憶を試すものではなく、論文形式による問題解決へのテストに移行しているという話しも聞かせていただきました。
インターネットが発達してなかったころはある意味、何も考えず地元で教育を受けさせ、地元で就職させることで完結していたのかもしれませんが、世界の情報が先に繋がってしまったわけですから、行動だけは分断してローカルというわけにはいかないでしょう。子供の教育の範囲も親の持つ常識で変わってしまうわけですから、ある意味では大変な時代かもしれませんね。
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