今ものすごく下がっているのでもう投資をやめた方がいいでしょうか?というご相談。

相場が下がると投資をやめようとする人が増える

大阪や東京に行っていましたが、いつもと比べ物にならないくらいに人が少ないですね。

新幹線も乗車率が半分以下のように思いましたし、いつも盛り上がっている東京駅近辺の飲食店は人気店でもものすごく人が少なく、高架下に連ねるお店ではお店の前で呼び込みをみなさんされているくらい少なかったです。

今回の自粛も経済にはかなり影響を与えているのを肌で感じます。

まぁそれを反映して、世界的にも株価は大きく下がっています。

そしてそうなってくると、もう投資はやめた方がいいのでしょうか?という質問が多く寄せられるように思います。

<ここからあくまで個人的な意見ですので参考までに>

明らかにこのタイミングで自分がやっている投資がそもそも間違っているものだと気づいたり、またどうしても精神が耐えられないという場合であれば、損をしてでも一度手放し、切り替えることや、資産配分を見直すために売却することも選択肢にあるかもしれませんが、下がっている時に売る行為というのは、あまり勧めれるものではないでしょう。
この出来事がどうこうではなく、投資に対する準備の時点で考えが甘く、間違っていたと言えるでしょう。

投資は下がった時の行動こそが試される

ニュースではいい話しをなかなか聞けないですし、不安になる気持ちもとてもわかります。

でも、今この時の行動が未来を大きく変えることになるということです。

もちろん私は未来が絶対に見通せるわけではありません。
でも、このまま人類がこのウィルスにやられてしまうと思うでしょうか?

私は人類はそんなにヤワではないと信じています。
多少時間はかかるかもしれませんが、このウィルスの脅威から立ち上がると思っています。

この信じる気持ちこそ未来を生きる力であり、また投資の活力になる信念であったりします。

別に気持ちに逃げるとかそんなことでもありません。

冷静に見ればおかしな話しがたくさんあるということです。

世界中の株価、すべての株価が下がってしまうっておかしくありませんか?
関係ない会社だってたくさんあるはずです。でも印象によって全体が下がっているのが今の世界の状態ではないでしょうか?

一種のパニックによって、投資や株=下がるという集団心理によって引き起こされているショックに感じます。
そしてその下がっている状態を見ていて、さらにみんな売ろうという心理になります。

セーリングクライマックスなんて呼ばれたりもしますが、負のスパイラルが連鎖して大きな下落に繋がるわけです。

こんな時に私は何をしているか?

答えは単純。

コツコツ積立投資を続けるということです。

もちろん1つの株を買うなんてのはどこまで下がるか現状では見えてませんから、リスクが大きいタイミングだと思うので世界中に分散されたものを毎月相変わらず、むしろ何も考えないくらいで継続して投資をしています。

あとこれからまだ下がることも考慮して、個別株も選定しながら買い進めます。

不当に安くなっているものも現状たくさんあります。
今まで何度も【◯◯◯ショック】なんて経験しましたが、こういう時に買っていたからこそ、そのあとに大きく利を手にすることができました。

当たり前なんですが安くなった時に売ったり辞めたりしていたら、いつまでたっても資産は増えませんよね(笑)

それに積立投資の極意とも言われるドルコスト平均法もこういう時に変わらず一定金額を投資し続けることでそのメリットを最大限に享受できるわけです。

こう言う時にこそ、本物の投資家と上っ面の投資家の違いが出てきます。
ぜひ冷静に、そしてなぜ積立投資というものを始めたのか?という原点に立ち戻ってみてはどうでしょうか?

下落時の金融機関の姿勢

またこのような相場では金融機関も同じです。

金融機関名は出すつもりもありませんが、金融機関の多くも一般人と一緒にパニックになっているように感じます。
これじゃ素人と全く同じだよなぁと思ったり。

そしてこれじゃぁ仕方ないよねとお客さんにも責められたくないので沈黙しているところが多いんじゃないでしょうか?

でも私が個人的に思う、いい金融機関というのはこういう時にこそ、顧客に向けて投資の考えだとかを改めて顧客に向けてアナウンスをしていたりします。

人も金融機関も同じですね。
本当の運用をしているところと上っ面のことをしているところとはっきり分かれるように思います。

私は投資家みんなでこの逆境を乗り越えていきたいなぁと思っています。
思うだけではなく、私は投資を続けてみなさんにその姿勢を見せる役目なんだろうと思っています。

今日のこの投稿は将来の私から見るとどうなるんでしょうね?
時が正しかったか悪かったのかはジャッジしてくれますし、その判定に耐えらえる哲学をもっともっと昇華させていきたいと私は思っています。